昭和42年04月16日 春季大祭
一言御挨拶を申し上げます。本日はここ、合楽のお広前が新築御造営になりました報告のお祭りを、親先生御祭主のもとに、この様におかげをこうむりまして有難うございます。ここからでございますけれども、今日特別参拝の栄を頂いております特別参拝者の皆様、有難うございました。また業者来賓のお方達にも、本日は真に有難うございました。大変この2年間の間、御無理を申しつづけてまいりました、けれどもおかげでこのように立派に御造営になりました、心から感謝を申し上げます。
また当合楽の部落の皆さんに御挨拶を申し上げます。2年間の間真にいろいろな意味で御協力を頂きまして有難うございました。今後とも、またなにかと大変お世話になることでございましょうけれども、どうぞよろしくお願い申し上げます。さて当お広前の信奉者の皆さん、本日はおめでとうございます。教祖の神様のお言葉の中に、『これで済んだとは思いません』、というお言葉がございますね。私共お道の信奉者は、この態度が一番大事ではなかろうかとこう思います。
これで済んだとは思いません、どの様な事が出来ましても、どの様なおかげを蒙りましても、これで済んだとは思いません、という私はお言葉を反対に頂きますと、神様は又是だけのおかげをやったから、もう後はやらんと仰る神様ではないと言う事でもあると私は思うのです。ある時に三代金光様にある先生が、ある難儀な問題をお伺いなった時に、「金光様、おかげが受けられましょうか」、というてお伺いされた時に金光様が仰ったそうでございます、
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おかげが受けられる道だと思います。それには矢張り是ですんだとは思いませんという姿勢と申しますか、そういう内容が段々でけていかなければならんと思うのでございます。神様はもうおかげをやりとうて、うずうずしておられるのでございますけれども、私共がその受け物を持ちませんために、よう頂けません。私見事なお広前が御造営になって、と言われますけれども、私は申しますまだ久大線のところまではずうっと、まだ全部じゃない。それには私はもうほんとにね。
限りなく信心を進めていくと言う事は、限りなく自分自身をいよいよ見極めさせて頂いて、おかげをこうむっていき改まりに、又は本気で磨かせて頂く事に、限りなく美しゅうならせて頂くと言う事に精進させて頂き、いよいよ天地の親神様の悲願である、世界真の平和、世界総氏子の真実のそのようなお取次ぎの御用をこれからいよいよさせていただくんだという思いを致しますときに、とてもとてもこれで、ここに腰掛けてでもおったんではならないという気が致します。
いよいよ人間氏子としての値打ちを、作っていくことに精進させて頂き、私は思うんです例えば恵比寿様が、いかににこにこしてござっても、鯛を抱いてない恵比寿様はおかしいもんだと思う。どんなに大黒様が福徳円満な人相をしてござっても、打ち出の小槌的なお徳をお持ちにならなかったら、その大黒さんは値打ちがないと私は思うね。折角信心をさせ頂くのでございますから、もう笑われないような信心。恵比寿様が鯛を持たんような信心じゃつまらん。
いよいよおかげを頂いて参りましてです、それこそ打ち出の小槌の徳を持たせて頂ける程のお徳を頂かせて頂いて、おかげを蒙っていかなければならない。どんなに磨けば立派であります、例えば野菜のコショーでございますね。いかに辛そうにしておりましても、あれがもし辛くなかったとしたらどうなることでしょう。恐らくこげなコショーはもういらんというて捨てられるに違いありませんね。
コショーはやはり辛いが値打ちなのです。お道の信奉者としての値打ちというものを、いよいよ本気で把握させてもらい、いよいよその値打ちを発揮して行く所のおかげを頂いていくことに精進させて頂いたら、それでも私共の場合は、この様におかげを蒙っております。もうほんとに神様に大変な借金をしたような感じが致します。私は北京時代に聞いた話でございますけれども、これはまあ名前は申し上げられませんけれども、朝鮮のですね、ある大きな酒屋さんがございました。
この酒屋さんがですね、造酒屋さんなんですが倒れますとね、当時の朝鮮銀行が倒れたと言われております。ところが朝鮮銀行がですね、いよいよこの酒屋だけは倒されないと言う事自分が倒れるから。私はどうもそれに似たような感じがするんです。信心もでけんのにこの様なおかげを頂いて、いやそれは改まろうと言う事に、限りなく美しゅうなろうと言う事に、本気で磨こうと言う事には、もう誰にも負けない熱情はもっておりますけれども、そこが生身凡夫の事でございますから。
どこにお粗末があるやら御無礼があるやら分かりませんね。そしてまた自分と言う事を見極めるときに、こげな汚い私が、こういうつまらん私がと言う事に結論するのでございますね。ですから思いますときに、これは○○酒屋さんじゃないけれども、神様があんまりあれにおかげをやりすぎたから、倒しもされんというのが現在の状態じゃなかろうと。ほんというたら利払い、利上げもできよらん私じゃなかろうかね。けれどもここまでおかげを下さったのでありますからね。
せめて利払い位はで蹴る様な信心にならせ頂いて、いついつまでもね、永久にこのおかげをいよいよ広大な、無辺なものにしていきたいという願いを持っております。皆さんもここにご縁を頂かれる、またはこれから沢山の人がご縁を頂くでしょう。難儀な氏子のお取次ぎ助けられる場がこのようにでけたのでございますからね、ためにはまず私自身が助からなければならんと私は確信いたしております。
私自身がやはりおかげを蒙らなければなりません。そしてどうぞ見て下さいという私、見て下さいというおかげを私が見せていかなければ皆さんはついてこないと思う。いよいよ難儀な氏子の取り次ぎ助けられていかれることの為の御用に、これからいよいよ邁進させていただく覚悟でございます。皆さんもどうぞ、皆さんが一粒万倍のおかげと仰るのでございますから、
皆さんが真実おかげを受けられるならば、それに万倍のおかげが伴うて来る事も間違いないことでございますね。どうぞいよいよ神様を確信させて頂けれる信心。どのような場合でも、神様の御都合として頂けれる信心。どの様な事が起っても驚かんで済む様な信心を、いよいよ身に付けていきたいと思わせて頂きます。御挨拶がたいへん長くなりましてあいすません。どうぞよろしくお願い致します。只今から授与式に移らせて頂きます。